こんにちは。伊豆の歴史系ガイドまゆです。
さて、先日伊豆を飛び出して、静岡市の由比と久能山東照宮に行ってきました。
由比の桜えびオススメの店へ
伊豆から静岡市へ車で移動。
で、途中お昼ご飯を食べたくなったので途中の由比で桜えびを頂くことに。
今回行ったのはコチラ。
由比の桜えびなぜ美味しい?
生桜えびのほうがいいかしら。かき揚げなんて食べたらもったいないかしらと思いつつ欲望に勝てず、かき揚げへ。
でも、揚げた桜えびもプリプリのサクサク!
考えてみると同じ駿河湾の某港で食べる桜えびよりも美味しいじゃん!という話になり、なぜなのか勝手に考察。
桜えびはふだん私たちは干しているのを食べます。ということは某港の桜えびは生じゃなくて干しているものかな…?
そういえば、桜えびは生はあまり見かけません。
鮮度が早いから生はあまりない?
でも駿河湾沿いなら生の桜えびは獲れそうなのに……漁業権?
調査してみたいと思います。
由比の街並みはなつかしい
ちなみにまゆさんは、由比の街並みが大好きでして…住宅がぎゅうぎゅうになっているのがザ港町といった感じで、熱海市多賀や網代もこんな雰囲気で、都会から来た人からは懐かしい気持ちにすらなるのではないかと思います。
車が入れないような細い道や階段がたくさんあるので、いつかここをのんびり散策したいなぁと思ったり。
久能山東照宮へ
さて車を更に西へ。
到着。
ここは説明不要かもしれませんが、2023年大河ドラマどうする家康に出てきた場所です。
おいおい歴史系ガイドとか言っているくせに今ごろ来たのかよというツッコミは置いておいて。
いざ!
歴史好きの私の久能山東照宮の楽しみ方と見どころを紹介します!
ただの石段で大騒ぎ
ちょこっとだけ久能山の歴史
で、こちらの看板を読むとざっくり整理すると…
592〜628年の飛鳥時代のころ、久能忠仁が建立。
1568年の戦国時代、武田信玄が久能城として使う。
後に武田家が戦に負けて滅亡したことにより、家康の持ち物に。
看板にある「久能城は駿府城の本丸と思う」という家康の言葉。
お城用語分からない方はポカーンかもしれませんが、お城もガイドできる私としての解釈は
「久能城ってめちゃくちゃ大事だぞ!マジで!」
と言っていて、家康の遺言でここに今もお墓があり、見学できます。
武田ナイズか徳川ナイズか?
というわけで階段を登るわけですが…
なんでまっすぐ作らないの!まっすぐ!
と思うかもしれませんが、こうする事によって敵が簡単にお城に入らないようにするためかと。そして…
良い写真撮れなかったのですが、振り返ると下からやってくる敵が丸見えで、矢なり鉄砲なり打ち放題なんですねぇ。
更に階段にカーブを付けることにより、階段を登る限りは敵はイヤでも正面を向く瞬間があるので、そこを矢なり鉄砲なりで……めっちゃイヤじゃん。
文章じゃイマイチ伝わらなかったみなさん。ぜひ、現地に行ってやってみて下さい。ボコボコにやられるなぁって分かります。
ちなみに、戦国時代。
大名オリジナルの城の攻防の仕掛けがありました。
(ちなみに北条って人たちは障子堀と言われるこの仕掛けがオリジナルでした。中に入った敵がなかなか出られないようになっていて、い、いや…怖い)
勝った方がが負けた方のお城もらって、「あーこの家、こうゆうオリジナルの仕掛けがあったんだー」なんて発見してそっくりそのまま頂いちゃうなんて事がよくあったそうです(著作権ない時代ですしねー)
なのでこの仕掛けは武田時代のものなのか?徳川時代のものなのか?
いやいや、天才戦闘集団武田家じゃないかしらーと一緒に行った人と考察したり。
K持さんこれって伊豆の石使ってます?
でこの石垣よく見ると、凝灰岩?伊豆石かっ!?なんて思うのですが、伊豆石探求会のK持さんどう思いますか?(名指し)
石段はよく見ると石を切った跡そのままで形を整えてないなと思うものがいくつか。でもこれ当時からのもの?うーんなんて。
だいたい階段で20分掛かりました。こんな感じで大騒ぎしたので、ゆっくり歩いたほうだと思います!
いよいよ社殿へ
さて、いよいよ中へ入ります。
色遣いがすごいよっ!色遣いがっ!
こんな建物、伊豆にないよぅ……
なんて幼稚な感想を抱きつつ、
さすが徳川様になると建物の威厳が違うわねぇと思ったり、
黒に金って色遣い大坂城を思い出して戦国武将に流行った色遣いなのかしらと思ったり、
京に行くとこういう色遣いの建物あまりないよね?と思ったり、
なぜか色遣いひとつで色々と考えさせられました。
家康のお墓へ
家康のお墓へ。
久能山は最高の城?
「久能城は駿府城の本丸と思う」そして自分が亡くなったらお墓はここへ。
ちなみにこの久能山は平野がずっと広がっているのにココだけ山がボコっとある、ジオガイドの私としては大変興味深い地形です。
静岡県久能山城① ~ 勘助井戸の謎 | 武蔵の五遁、あっちへこっちへ
これ何がいいかというと敵がどこから攻めてきてもすぐに発見しやすい。
海から来てもあっという間に分かる。
さらに先ほどの石段のメリット。
未来に何を遺せるか?
家康は幕府を作り、戦の世の中を終わらせましたが、もしかしたら家康は自分が亡くなったら後また戦がはじまるかもしれない。
久能山は絶対にあった方がいい。
ここを自分のお墓にしてしまえば取り壊されることもない。というような未来に繋ぐ為にやったのではないかと思いました(間違えていたらすいません)
未来に何かを遺す。こんな方法もあるんだなと思いました。
歴史好きの私の滞在時間は2時間ほどでした。
石垣いちご
さて、戻ってみると苺を煮詰めた甘い匂いが…
もう匂いだけで宣伝になっているじゃないかというほど、この辺りは石垣いちごが名産です。
(思わず買ってしまったいちごジャム。いちごの濃厚さがたまりません!)
ナニ!?いちごだと?と私の住む伊豆の国市もいちごが名産。
敵陣視察とばかりにいちごクレープを頂きます。
うん!あまーーい!天然の甘さを感じます。
って何?
石垣いちご?と思い店員さんに「石垣いちごって何ですか?」と聞くと、
https://www.tabirai.net/bus/column/75/
その名の通り、こんなふうに石を積んだ石垣の穴にいちごの種を一粒ずつ入れて育てる方法。
日本で初めていちご栽培に成功した場所がココ
川島常吉は日本で最初にいちご栽培に成功したと言われ、明治29年(1896)頃から久能の場所でやっていたそうです。
何がすごいかというとビニールハウスなどの温室栽培がなかった時代の冬でも農作物ができること。
また海が近いので潮風の影響を受けてしまうこともあり、ここで農作物ができるのは大変うれしかったのでは?と思いました。
ということで、帰り海岸沿いを走ると山沿いにビニールハウスが…!
伊豆の国市は平野にビニールハウスなので山沿いはなんだか不思議な光景です。
伊豆の歴史を知っていると他の場所も楽しい!
ここまで読んで頂いたみなさんありがとうございました。
伊豆ではない他の場所へ行く事で自分たちの住む場所と比べてここがどう違うのか比較することができました。
また、伊豆の歴史を勉強した事でその知識をそのまま他の場所へ行ったときも役に立てるなと思いました。
戦国時代やお城をツアーガイドしています。
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