いつの世も問われる理想の外交とは?
ウクライナ情勢など、いつの世も日本の外交とは何か?どう外交すべきか?政治家の外交姿勢が問われてきます。
また、国単位でなくても個人やビジネスで外交の手腕を問われる方もいると思います。
理想の外交とは何か?歴史からこんなヒントを得てみませんか?
私まゆは数ある英龍さんエピソードの中で、「英龍さんカッコいい!」と思わせた話があります。
それがマリナー号事件です。
どんなお話?
(下田市の観光名所といえばこのペリーロード。今回はそのペリーが来るちょっと前のお話)
まだ日本が鎖国をしていた頃の1849年。
イギリスの軍艦マリナー号が静岡県の下田に入り、測量を始めます。
下田奉行はそれを追い出そうとするのですが、相手にされません。
日本は鎖国をしているのですが、
1837年に起きたモリソン号事件をきっかけに下田奉行も強く出られなかったのではないかと思います。
そこで幕府は英龍さんにそれを追い払うように命令します。
江川家は質素倹約をモットーに普段の英龍さんもこのようなボロボロの服を着ていたと言われています。
(袴とモンペを合わせたようなズボンだそうです)
信じられない出立ちで…!
しかし、マリナー号事件の交渉に当たったときは、越後屋(今の三越)に繕わせた蜀江錦の野袴(しょっこうにしきののばかま)に着替え、
黄金の刀を大小差し、家来たちにも豪華な袴、羽織を着せたそうです。
とても目をひく、豪華な一行だったのではないかと思います。
小舟でマリナー号まで行き、
「人民15万を納める官司である」
と言ったそうです。
実は英龍さんは身長が6尺(180センチほど)あり、声に張りがあり、対応も明快で、堂々としていたものだと思います。
その姿を見たマリナー号の人たちは話を聞くようになったそうです。
クールに成功!
(下田市爪木崎。残念ながらマリナー号事件の現場はどこか分からないそうです)
日本からしたら勝手にマリナー号が来たというネガティブな印象かもしれませんが、
英龍さんは艦長に手厚く送迎の礼を述べ、イスを上席するなど、大切に扱ったそうです。
その姿を見たマリナー号の人たちは更に英龍さんに敬意を示しました。
マリナー号側から贈り物がありましたが、英龍さんはこれを断ったどころか、肉類をイギリス側が希望したのでそれを贈ったそうです。
「日本は今鎖国をしているので帰ってほしい」
と言うと、マリナー号の人たちは帰って行ったそうです。
理想の外交とは?
(下田は後に開国後、一番最初の貿易港になります。偶然にも外交の舞台となっているのです)
いかがでしょうか?
外交とはまず相手を敬う姿勢が大事だと思いました。
鎖国していたので相手国のことはよく分かりません。そして勝手に計測をしていた事で理解できない、怒ってもいい部分だと思います。
しかし英龍さんは相手を敬う気持ちを崩さずに根気よく外交をした姿勢を見せます。
その相手を敬うための第一として服装を、蜀江錦の野袴を着用したと思います。
人は見た目だけではないですが、身だしなみは国境を越えた敬意の表れなのかもしれません。
柔軟な思考力が必要
こんなふうにこちらが怒りそうな誤解は、もしかしたら異文化、相手を理解していないから起こる事なのかもしれません。
そういう時はどうしたらいいのでしょうか?
その相手の事を事前に調べる事ももちろん大事です。
ただ状況によってはそうはいかないこともあります。
そんなとき、異文化にも対応できる柔軟な思考力を身につける事が大事だと思います。
それはたった歴史を知ることだと思います。
歴史を知る事で当時の人たちの気持ちを想像し、固くなった頭を柔軟にするトレーニングをして、いざという時に対応できたらと思います。
そんな知識を教えるだけでなく、みなさんに問いかける伊豆のツアーをやっております。
今回登場した江川太郎左衛門にまつわる場所も巡ります。ぜひ、ご利用下さい!
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