まゆと伊豆

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北条早雲って誰?(2023.11.23版)

伊豆の名所や歴史を回るとよく耳にする名前が『北条早雲

知っておくと伊豆の歴史がより分かりやすくなるので、経歴を紹介します。

また北条早雲は詳しく分かっていない部分が多いので、今回は有力する説を採用しました。

北条早雲ってこんな事をしたんだー」と大まかな流れを知って頂けたらと思います。

 

 

北条早雲の生涯

出身は岡山県

北条早雲は1456年生まれ。

戦国時代に活躍した戦国武将です。

生まれは岡山県

早雲の姉の北川殿は今川義忠と結婚します。

義忠は駿河守護大名でした。

守護大名とは室町時代室町幕府の役人が、地方へ行き、室町幕府の政治をします。

室町幕府の支店のイメージです。

早雲が伊豆に住みはじめたきっかけ

しかし、1476年に義忠は戦死します。

家を継ぐのは義忠の子どもの龍王丸ですが、まだ6歳だった為に誰が家督を継ぐのか争いが起きてしまいます。

それをおさめたのが早雲です。

小鹿範満が龍王丸が成人するまで代わりに治めることになります。

しかし、龍王丸が成人しても家督を譲らなかった範満に対し、

1487年早雲は範満を討ちます。

龍王丸改め氏親はその褒美に早雲に沼津の興国寺城をもらいます。

ここから早雲は伊豆に住みます。

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なぜ早雲は伊豆を治めるようになったのか?

しかし、また事件が起きます。

堀越公方足利政知の子の茶々丸が、家督争いの果てに継母とその子どもを殺してしまい、自分は公方になります。

公方とはやはりここでも、室町幕府の支店の人です。

また茶々丸は伊豆の重鎮を殺すなどして支持を失ってしまい、伊豆国全体が混乱に陥ります。

(茶々丸怖い…)

三男の足利義澄はそれを早雲に相談し、茶々丸を倒すように命令します。

1493年、早雲は伊豆討入りを始めます。

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(伊豆の国市・願成就院にはその茶々丸のお墓があります)

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茶々丸がいたのが伊豆の国市にある堀越公方です。

力づくだけではない頭を使った早雲の作戦

早雲の戦い方は人間の心理をよくついています。

敵の兵士に良い条件を出し、裏切るようにします。

「味方に参じれば本領を安堵する。参じなければ作物を荒らして住居を破壊する」

と高札を立てます。

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(高札とは時代劇でもよく見るこういう看板です)

 

これを喜んだ伊豆の武士や領民は続々と早雲に寝返ります。

茶々丸に対し不安があった地元の人たちは、早雲ならば自分達の地元を救ってくれるかもしれないと希望を見出したのかもしれません。

 

この北条早雲が伊豆を治めるようになってから亡くなるまでいたのが、伊豆の国市にある韮山城跡という場所です。

鎌倉時代の北条家とは違うの?

伊豆の人たちに慕われていた北条家にあやかって北条と名乗り始めた!

そして、この『北条』という名前ですが、

源頼朝の妻の北条政子や、2022年の大河ドラマ北条義時の北条家とは全く関係がありません!

伊豆国を支配したとはいえ、「よそ者」でイメージが良くなかったため、そこで地元の人が親しみがあった北条家にあやかって「北条」と名乗るようになりました。

それを区別する為に、後北条(ごほうじょう)、小田原北条と呼んでいます。

 

家紋もそっくり!

実は後北条は家紋まであやかっていました。


見分け方は前北条が正三角形で、後北条は二等辺三角形です。

現代で歴史を学ぶ私たちとしてはとても紛らわしいのですが、実は当時もそういった意図だったのではないかと、個人的には思いました。

(ちなみに学者の先生の間ではその見分け方もちがうのではないか?と言われているので、新たな発見に期待したいと思います)

後北条は終わらない

北条家は5代続きました。

北条家の終わりは、天下統一を果たした豊臣秀吉との戦いに負けて終わってしまいました。

しかし、これで後北条の歴史が途絶えたというわけではないです。

後に大阪の河内狭山藩主となり、後北条第二章が始まります。

どうしてそういうことができたのか、流れをこちらでまとめてみました。

 

 

地方自治の先駆けだった!

後北条は5代に渡って続きました。

「たった5代かよ!」と思われるかもしれませんが、戦国時代で5代続くのは本当に奇跡です。

織田信長豊臣秀吉…みんな1代や2代で終わってしまっています。

それぐらい戦国時代は特殊だったのです。

ではなぜ、5代も続いたのでしょうか?

それは後北条家が民を思い、民が主役の、地方自治のさきがけとも言える先進的な政治をしたからです。

これは現代を生きる私たちにも大きなヒントになっています。

そんな後北条の政治を探るツアーガイドをやっています。


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合わせて読みたい

じゃあその鎌倉時代の北条家は何した人だったの?

mayu-egawatei.hatenablog.com

 

この韮山城から歩いて数分の場所に江川邸という場所があります。

ここも歴史がすごい!という事でぜひ。

 

mayu-egawatei.hatenablog.com

 

この江川邸に住んでいた江川太郎左衛門世界遺産韮山反射炉を作った人なんです!

韮山反射炉もすぐ近くなので、ぜひ

 

mayu-egawatei.hatenablog.com

 

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