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城跡の楽しみ方を解説!~沼津市興国寺城跡

こんにちは。伊豆の名物ガイドを目指すまゆです。

と自分から「名物」と言い出し「伊豆の歴史って面白いぞ!」と大声で言い続ける怪しい活動をしてきましたが、今後は伊豆の歴史系ガイドまゆとして活動していきます!

あ、どうでもいいお知らせでした(汗)

自分から名物と言っているにも関わらず、ガイド依頼やそれ以外の要請まで。なかなかできない貴重な経験をさせて頂きありがとうございます。

これからもみなさん、よろしくお願いします。

↑というわけでこんな感じの画像を作ってみました。

 

さて、北条早雲が関東を治めるきっかけになった沼津市の興国寺城跡に行ってきましたぁ!



原駅から歩くのおすすめ!

東海道線の原駅に降り2.7キロ、歩いて40分ほどです。

Googleで調べると駅から興国寺城跡までストレートに行くバスがないので歩きで行きます。

まゆさんは10キロ以上平気で歩いてしまう健脚なのですが、ぜひ歩いて向かう事をオススメしたいです!(特に歴史好きのみなさんっ!)

宿場町の街並み

ここは東海道の原宿。宿場町でした。
街並みを歩くと宿場町らしさを感じます。

気功を考えた白隠禅師ふるさと

またここは江戸時代中期に活躍した白隠禅師のふるさとで、禅をすると病気が治る=今で言う気功を考え出したそうです。

https://www.thm.pref.miyagi.jp/exhibition/1656/

(この達磨絵図は私も見たことがあります!)

スルガ銀行創設者•岡野喜太郎のふるさと

またここは静岡県民にはおなじみのスルガ銀行創設者の岡野喜太郎さんの出身地です。

(狭い道、暗渠が大好きなまゆさん。地元の人しか使わなそうな裏道を歩いていたらこんなものを見つけました…!これだから暗渠は楽しい!)

興国寺城だけではない、原もまた歴史が混在している面白い街で歩いているだけでも楽しいです!

興国寺城通りへ

さてその名も興国寺城通りへ。メインストリートをひたすらまっすぐ進みます。

歩くと分かる特殊な通り

原・浮島地区/沼津市

実際に歩いて他の沼津の街とは違う違和感に気付き、地図を見てみると、興国寺城通りをメインに街並みが碁盤の目になっていることに気付きます。

どうやら沼津の街でもこの街並みは珍しいようで、興国寺城主が京都の街並みを参考に街づくりしたのではないかなと推測できます。

興国寺城にあったこの看板を見ると、初代城主が早雲さんでした。早雲さんがこの碁盤の目の街づくりをしたのかなと思いました。(早雲さんって誰?と思った方はコチラを先にどうぞ)

興国寺城へ

いよいよ興国寺城跡へ。後ろには大迫力の富士山が迫っています。

場内、駐車場、御城印は?

駐車場

地図で見るとこんなかんじ。興国寺城跡に無料の駐車場もあります!(緑に塗った部分が駐車場です)

御城印は?

御城印は興国寺城近くのエス•キムラさんでゲットできました。

所要時間

私は所要時間は1時間でした。

曲輪がしっかり残っていて感動!

さて、まずは天守台を目指して歩きます。

(クルッと振り返ると景色の良さ。左側に伊豆半島が見えています)

えっ…何にもないじゃん(´ω`)

と思うことなかれ……これ、曲輪がしっかりと残っているじゃないか!

とまゆさんとしては感動してしまうところなんですねぇ。

曲輪とは?分かりやすく解説

戦国時代、お城はお殿様がのんびり過ごす場所というより戦で攻められて防備できる為に作られました。で、山の方が敵は攻めにくいし、守りにやすいので、山全体を城にしていました(城というより山全体を所有する?)

山に武器庫や馬小屋、兵が休む場所を作りたいので急斜面のままだと作りづらいので、土を埋めて真っ平な土地を人工的に作りました。これを曲輪と言います。

土塁もしっかり!

土塁(どるい)らしきものもしっかりと!(゚∀゚)

土塁とは敵の侵入を防ぐために土を山のように盛ったもの。

土塁を見たらぜひやってほしいおすすめ

まゆさん土塁を見ると、敵の気持ちになって登ってみたくなる癖が…(´ω`)

え……城郭ファンのみなさんはやりませんか?

お城初心者のみなさんは現地に行ったらまずやってほしいことです。おすすめですよ……

穂見神社へ

パンフレット発見

穂見神社に到着。ここに興国寺城跡のパンフレットもありました。

早雲さんはお坊さんでもあるので、早雲さん関係の神社かな?と思って看板を読むと安政4年と江戸時代後期に建てられたようなので、早雲さんが建てたというわけではなさそうです。

北条家のお城を面白くみるポイント

説明看板もありました。興国寺城は城主が目まぐるしく変わっているのは知りませんでした。

ちなみに北条家、武田や今川と同盟結んで仲良しこよしかと思いきや、戦をしたりと、くっついたり離れたりを繰り返しています(そういうカップルいるよねと思いつつ)。

「これ仲良かったときね」「これ仲悪かったときね」と思いながら見ていくと、話が分かりやすいかと思います。

発掘調査やっていました!

さてトコトコ歩いていると、

なんと発掘調査をしていました。(ちなみに行ったのは2024.3.9)

北条家や興国寺城、まだまだ分からないことがたくさんあるので、これから新たな発見があるかもしれないですね。

天守台へ

さて天守台へ。

天守とは一番偉い人のいる場所です。

とーーーーっても良い景色です。

早雲さんもこんな景色と、伊豆半島を見ていたのでしょう。

伊豆半島を見てこれから起こる事にどんな気持ちを感じていたのでしょうか?

現地に行かないと感じないものだと思います!

クルッと振り返ると富士山がひょっこり。

岡山県出身の早雲さんとしては、ここで見る富士山に特別な思いをかけていたのでしょうか?

北曲輪へ

さて、北曲輪の方へ。

ここまで読んで頂いた歴史初心者の方もお分かりかと思います。

土塁すごーーーーーーい!

最大で何メートルあるのでしょうか?人の手で掘っていて、ここまで高いと敵の侵入も難しいです。

沼津の地名の由来

おまけ

ここの土塁の土を見てみると…(実はまゆさん歴史だけじゃなく、伊豆の自然もガイドできるジオガイドの資格持ち)

粘土っぽいなと思いました。間違えても凝灰岩ではないなと思いました。

どういうことか?

実は伊豆半島、今はピターっと本州にくっついていますが、2000万年〜1000万年前は本州から遠く離れた海の中の火山でした。

それがだんだん近づいて本州にくっつくとても珍しい現象なのですが、要は本州とは地質が違うんです。(その理由もこれでなんとなく分かったかと思います)

で、伊豆の石はこんなモノが多いんです。

で、興国寺城あたりの土地は近くに「浮島」なんて地名があるように、昔は島だったんです。

一番最初は駿河湾の海だったと言われ、川などから石や土などの堆積物が運ばれ、それが海に流れ、長い年月を掛けて島ができます。(浮島という地名はこの時に付けられたんですね)

で、川からの堆積物は更に流れ続け、そのまま陸になってしまいました。

川から流れてきたモノが陸になったので、泥などが多いの理由はなんとなく分かるかと思います。

そう、「沼津」の沼とはここから来ていたのです。

(ちなみに興国寺城跡付近でこんな看板を発見。地盤沈下起きやすいのもこれが原因なんだろうなぁと思いました)

なので土塁を見て「もはやここは伊豆じゃない‼︎沼津なんだっ‼︎」とはっとさせられるのです。

早雲さんも興国寺城の沼津とは違う伊豆の自然の雰囲気に気付いたでしょうか?

城跡歩きは楽しい!

いかがでしたか?

少しでもみなさんの近所の城跡を歩くのが楽しくなればと思っています。

こんなふうにお城の楽しみ方を観光ガイドしています。

早雲さんが今回紹介した後に本拠地を韮山城へと移しますが、ここは興国寺城と違った韮山ならではの地形が活かされています。

詳細は画像をクリックして下さい↓


次のおすすめ記事

北条早雲ってどんな人?現代の私たちにも参考になる政治のお手本でした。

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◇同じ城跡の記事、久能山東照宮にも行ってきました。興国寺城跡とは違う城跡の考察しています。

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