
戦国時代、伊豆は北条家が納めていました。
伊豆には北条家にまつわる城跡が、多いです。
そこで、北条家にまつわる場所を時系列にまとめてみました。
お出掛けの参考にしてください。
初代北条早雲
(1432?1456?-1519)
岡山県出身の伊勢宗瑞。
後の北条早雲。
伊豆に縁もゆかりもなかった彼が、
なぜ伊豆から関東一円を納めることができたのか?
彼の詳しいストーリーは、こちらのブログをどうぞ。
興国寺城(沼津市根古屋)

岡山県出身の早雲が伊豆を治めるきっかけになった一番最初の場所。
手柄を得て褒美のために今川家から興国寺城を貰います。
伝掘越公方所跡(伊豆の国市四日町)

早雲が伊豆を治めるきっかけになった場所。
当時は茶々丸がこの辺りを治めていたそうですが、
あまり良い政治とは言えませんでした。
そこで早雲は茶々丸のいる掘越公方所を襲撃します。
韮山城(伊豆の国市韮山)

茶々丸を政治の座から降ろし、早雲自らが伊豆を治めることになります。
その場所がここです。
こちらはガイドをしています。
早雲のはじまりを、一緒にご覧になりませんか?
狩野城(伊豆市大平柿木)

伊豆市大平柿木にある狩野城。
この狩野家は早雲に反抗しました。
ちなみにこの側を流れる川も、狩野川。
またこの子孫は後に、
『狩野派』という絵師の人気集団を作りました。
大見城(伊豆市柳瀬)


伊豆市柳瀬にある大見城跡。
こちらは早雲の味方になります。
『大見三人衆』と呼ばれ、先ほどの狩野城を攻める早雲に加わりました。
ドラマの予感がします。
柏久保城(伊豆市柏久保)

修善寺駅から徒歩圏内の駅近な城。
戦国時代、北条早雲に反抗した狩野氏の砦でした。
早雲が勝ち、そのあと早雲側の持ち物になったようです。
歩いていると、
狩野氏というより北条ナイズされたほうが強いなと思いました。
2代目北条氏綱
(準備中)
3代目北条氏康
(準備中)
4代目北条氏政/5代目北条氏直
(氏政1538-1590/氏直1562-1591)
戦国武将北条家はこの代をもって終わります。
しかしこの2人が行った事も、
現代の私たちにはとても学びになることばかりです。
その痕跡を巡りに行ってみませんか?
大平城(沼津市大平)

信長の戦いで敗れた今川義元が戦死。
その息子の氏真がここにお城を建てます。
その頃の今川家は偉大なる父•義元が亡くなった事でどんどん力が弱くなっていきます。
北条家が何度か氏真さんを手助けしているように感じ取れます。
武田信玄戦となりますが、甲相同盟が結ばれてここ大平は武田の領になることで決着。
その後の甲相合戦で北条家がこの城を奪い、北条家がさらに城をカスタマイズしたようです。
長浜城(沼津市内浦長浜)
見どころは戦国時代の軍艦•安宅船を体感できます(カッコいいですね)

また、全国で珍しい山城のような水軍の城です。
既成概念に囚われないのが、後北条らしいと思いました。

山中城(三島市山中新田)
天下統一を果たした豊臣秀吉との、戦に備えて建てたお城。
このワッフルの地面は敵が逃げにくくするためで、北条家オリジナル。


ライフラインの水の確保もあり、驚きました。
なぜ秀吉軍に短時間で落とされたのかというと、
秀吉軍に備えた増築が未完成でした。
完成したらどうなっていたのでしょう?

東海道の通り道で富士山絶景ポイントのひとつでもあります。
険しい箱根の峠を越えてきた当時の人たちはこの富士山を見てほっとしたんじゃないかなぁと想像します。
一緒に伊豆のお城を歩きませんか?
韮山城に眠る壮大な物語を、ただ歩くだけでは見つけられません。
私のガイドが、その背景にある静かな息吹を紐解きます。
詳細はこちらから。