2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』
脚本は私まゆの世代だと古畑任三郎の脚本でお馴染みの三谷幸喜さん。
主役はこれまた私まゆと同世代の小栗旬さん。
その小栗旬さん演じる北条義時が静岡県伊豆の国市出身ということで、これまた伊豆の国市に住む私としては大騒ぎさせて頂きました。
(自分の住む街に大河ドラマが来るって一生に一度あるかないかのすごいことだと思うのですが…)
で、この北条義時さん。
大河ドラマの題材になるぐらいだから、ナニがすごいのか?
学校の歴史の授業では出て来ない義時さんだけど、日本の民主政治の原型を作ろうとしていたんじゃないかなと思っています。
みなさんはどう思いますか?
一緒に読み進めて頂けたらと思います!
(どう考えても大河ドラマの写真を無断で使ったら怒られそうなので、全部描きました。笑 ついでにこの当時の人たち肖像画も残っていないので、大河ドラマ見た方、これから見ようかなと思っている方のために、大河ドラマの姿そのままで紹介します!笑。ちなみに鎌倉殿ツアーガイドのときに紙芝居を使って分かりやすくみなさんにガイドしますが、この絵を使います!)
鎌倉時代ナニが起きたの?
誰でも政治ができなかった鎌倉時代以前
今は総理大臣や政治をする人を決めるのは投票で、これはやりたい人が「やりたいです!」と立候補すればなれますよね?
ところが、鎌倉時代以前は朝廷…今で言う天皇しか政治をすることができませんでした。
つまり、朝廷の子や血筋を引いた人たちではないと政治ができず、それ以外の人たちはできませんでした。
それを書くと、
平清盛など平家と呼ばれる人たちは朝廷の人たちではありませんでしたが、この平家は朝廷との関係は良好でした。
これ結構ポイントになります。
当時はこんな状況だったので「じゃあ!俺が政治やりたい!」「政治ができるなんて権力の象徴じゃん」と私の想像ですがたぶんこんな気持ちから、権力争いがよく起きました。
まず1156年に保元の乱が起きます。
これは後白河天皇VS崇徳上皇で平家と源氏は天皇側に付きました。
(この時は仲良かったのかしらと思いつつ)
天皇が勝ったため、それに味方した平家と源氏は権力を拡大していくのですが、やっぱりそんなお互いが気に食わなかったのか、
平家と源氏の直接対決•1159年に平治の乱が起きます。
で、源氏が負けたため、源氏一族は死罪になったり、流罪になったり罰を受けます。
源氏の三男坊、伊豆へ…そりゃあ田舎は大騒ぎ!
平治の乱の源氏側のボス源義朝の三男•頼朝も家族ということで流罪になります。
で、頼朝は伊豆に流罪、つまり流されてしまいます。
流罪と言うと、牢屋の中で大人しくしているイメージですが、
地元の八重姫と恋愛をしたり、結構自由やん!むしろやりたい放題だな!と言いたくなりますが、とにかく自由は利いたようです。
そんな中、頼朝は伊豆の女性と結婚します。
で、その政子の弟が義時さんなのです。
ちなみにこの北条家
お世辞にも良い暮らしをしていたとは思えない伊豆の弱小軍団でした。
平家をぶっ倒せーーーーーー!
そこへ、今は落ちぶれたとは言え、一時期時代をブンブン言わせた源氏の三男坊がムコになったから、さぁ大変。
普通の日常になるわけがないです。
平家をぶっ倒せーーーーーーーーーーーー!
となるわけです。
もう少し説明すると、平家のやり方に面白く思ってなかったみなさん、そして敵対する源氏三男坊がここにいる…というわけでテンション高くならないわけがない!
妥当平家に向けてメラメラと北条家やその周りのみなさんが燃えてしまうわけです。
義時さんは頼朝さんの姿を間近で見ていたというのは、なんとなく想像できると思います。
頼朝さんのサクセスストーリーや考えを肌で感じていたと思います。
打倒•平家ーーーーー!
という事で、『1192(イイクニ)作ろう鎌倉幕府』でおなじみの鎌倉幕府を頼朝さんは作ります(近年鎌倉幕府はじまった年数論争ありますが、ひとまずここはおいといて)
ところが頼朝さん、落馬であっさり命を落としてしまいます。
そこで急遽、頼朝の息子頼家さんが鎌倉幕府のリーダーになるわけです。
「頼家さーーーーん。私たちがあなたをお助けしますよぉ」…なんて
そこで義時さんはじめとした北条家のみなさんやその周りの人たちが出てきて
「いやいやいや。頼家さーーーん。まだ18歳とお若い!あなたはまだ経験が浅いから、私たち経験豊かな大人たちがあなたを支えますよーー。」
と言って13人の合議制と言って、「みんなで話し合って、知恵出し合って、頼家様を支えようじゃないかー」という集団が作られます。表向きは。そう、表向きは…。
頼家さんが独裁政治をはじめたのでそれを抑えるためにはじまったのではないかと言われています。
(後に頼家さんは暗殺されます)
さらにこの13人が仲良し集団だったのかというとそうでもなく、やはりモメにモメ、モメてるうちならまだ良いものの、「もうあいつムカつく消そう」ってことで、大河ドラマでは毎週誰かがいなくなる(殺されるパターン多し)という、
「ただでさえブルーな日曜の夜によりブルーなモノを見せられる」
という気持ちを毎週毎週視聴者のみなさんは味わったと思います(でも面白いから見ちゃう)
そんなサバイバル過ぎる13人の合議制の中で最後まで生き残ったのが義時さんでした。
もうこの時の鎌倉幕府は事実上、義時さんが行なっているようなものでした(執権なんて言います)
絶対的権力を手に入れた承久の乱
で、そんな中、朝廷のみなさんが
「……なんか、最近、鎌倉幕府って調子に乗り過ぎじゃない?
特に義時……あいつを…あいつを…潰せーーーーー!」
という事で起きたのが1221年承久の乱。
今まで朝廷が政治を行ない権力があったので、そんな人たちを怒らせてしまうなんて本当にヤバいわけですが、なんとこれに義時さんは勝ってしまいます。
ものすごくピンチでヤバかった義時さんだったのですが、朝廷に買ってしまったことで逆に
「お前ら(朝廷)…もう俺に逆らえないよな…」
という事で朝廷も文句が言えないほど、鎌倉幕府は権力を絶大にしたのです。
鎌倉殿の13人とは一体何だったのか?
この義時さんは武士の世の中を作った人とも言われています。
この時代の武士とは、武力=つまり力で幕府を守る。
誰でもチャンスを掴む時代が来た!
つまり力さえあれば、朝廷のようにその血を引き継いでいなくても権力を握るチャンスがある人が増えたという事ではないでしょうか?
後に鎌倉幕府は、そのやり方に不満を持った足利家にやっつけられて、今度は室町幕府が登場しますが、やはりそれに不満を持った人たちが武力で抵抗し、そんな行動をする人たちが増え、やがて収集がつかなくなり、戦国時代に突入します。
この流れが良いか悪いかは置いておいて、その流れのきっかけを作ったのがこの義時さんと言っていいのではないかと思います。
誰でもチャンスはある。
そんなきっかけを作ったのは義時さんなのではないでしょうか?
民主政治のはじまり?
合議制は民主政治のはじまりと言ってはいいのではないでしょうか?
ただし、これを作ったきっかけやその後の流れを見ていくと、現代の私たちからすると、とても理想の民主政治とはほど遠いものだと思います。
権力は人を狂わす
(頼家病相の面と呼ばれ、毒を盛られ頼家さんはこんな顔になったと言われているそうです)
また私は最初、なぜ意見が合わないからと言って、権力がほしいからと言って、殺してしまうのかとても理解できない部分がありました。
しかし、今のニュースや世界情勢を、はたまたみなさんの身近な生活でも、権力の為に殺してしまう、もしくは「そんな事をなぜ…?」と思うような事をしてしまう人がたくさんいます。
まだ私の経験からは権力の為に人は狂ってしまうということを実感できていない部分はありますが、歴史と今を照らし合わせてみると、実感できていない私だからこそ、何か警告=アラームのようなものを感じました。
失敗から学ぶこともある
合議制は先ほども書いたように、成功とはとても言えない結果だと思います。
しかし、失敗から学ぶことはあります。
のちに徳川家康は鎌倉時代の事が書かれた「吾妻鏡(あづまかがみ)」を読んでおり、「この幕府は何が良くて、何が悪かったのか?」を研究していたそうです。
そこから300年続く戦のない徳川幕府を作ったので、鎌倉時代の出来事は決して無駄ではなかったのだと思います。
失敗からでも、私たちは充分に学ぶものがあるのではないでしょうか?
大河ドラマ巡りをしよう!
そんな義時さんの生まれ故郷•伊豆の国市。
大河ドラマやそこに関連する場所のガイドツアーをしています!
目玉は国宝の仏像が一度に5体も見れる願成就院。
鎌倉時代の事だけではなく、仏像の見方もガイドします!
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こちらは当日の朝10時まで受付している日があります。
ぜひ、見てみて下さいね!
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