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柏木忠俊って誰?〜英龍イズムを受け継いだ名バイプレイヤー

私、江川家の登場人物の中でかなり好きな柏木忠俊さん。



この方も伊豆をブラブラしていると、よく目に付く名前だなと思ったので、今回はこの方を紹介します!

 

忠俊さんプロフィール

1824年4月に生まれます。

時代は幕末です。

柏木家は代々江川家の家来になる

柏木家はずっと江川家の手代(家来)としてきたので、忠俊さんも13歳のときに江川家の手代になります。

 

ところでこの江川家ってみなさんご存知ないかもしれないのですが、とってもすごい家だって知っていましたか?

こちらを読んで、まずはびっくりして下さい。笑

 

 

 

 

忙しいボスの代わりに実は行ったのは忠俊さん⁉︎

忠俊さんはご主人の英龍さんに信頼されていたのかと思います。

英龍さんは、高島秋帆さんから『高島流砲術』という技術を勉強したと言われています。

この高島流砲術とは、超要約すると『超最先端の大砲とその使い方』という事です。

秋帆さんは英龍さん『だけに』

「俺の超最先端技術、英龍さんならみんなに教えていいよー」

という事で(こんなふうには言ってないと思いますが、ニュアンスとして)、

英龍さんは自分の地元で『韮山塾』という超最先端の大砲の使い方などを教える塾を開きます。

超最先端なものを韮山で教えていた事にびっくりしますね。

(塾のときの様子を英龍さん自身が描いたものです。座学だけではなく実践訓練もしていました)

で、ここまで読むと、英龍さんが秋帆さんの元に行って勉強して「教えていいよー」の流れになったのかと思うかもしれませんが、

実は英龍さんは代官という今で言う県知事のようなお仕事ですが、仕事量が今の県知事以上だと私は思っています。笑

という事で、英龍さん自身が秋帆さんの元に行ったわけではないのです。

代わりに直接行ったのが、実はこの忠俊さんだったのです。

(超最先端の大砲の技術を持っていた高島秋帆)

 

それだけ、信頼されていたということが分かるかと思います。

江川家のピンチ!?それを支え続けた忠俊さん

さて、英龍さんは1855年に急死してしまいます。

突然の事だったので、江川家はバタバタしたと思います。

そして家を継ぐ事になったのが英龍さんの息子・英敏さん16歳でした。

しかし、24歳で亡くなってしまいます。



(こちらが英敏さん。江川邸時代からうすうす気付いてはいましたが、女性のお客様に人気です。笑)

その跡を継いだのが、弟の英武さんですがこういった急な経緯により、この時わずか10歳でした。

そんな江川家を支えたのが、この忠俊さんでした。

まだ若い、幼い主人を支えようと動いた忠俊さんがいたからこそ、江川家が続いたのではと思います。

名バイプレイヤーの気が私にはします。

 

 

韮山高校も作りました!

(忠俊さんの作った韮山高校)

また、明治6年(1873)には今もある韮山高校を作る事にも関わります。

韮山高校…偏差値を調べてみてください。

私は逆立ちしてもとても入れないoh…と思わず言いたくなるような進学校です。

ちなみにここの初代校長が先ほど出てきた英龍さんの息子さんの英武さんです。

忠俊さんは校長にならなかったんですね…。

ここで英龍さんは韮山高校の「学祖」と表現されていますが、これはまさに「英龍イズム」を受け継いだ忠俊さんが作った高校だからという事ではないでしょうか?

 

忠俊さんと伊東市のはなし

突然ここで、話は伊東市へと飛びます。

伊東市のシンボルと言われる大室山。

めちゃくちゃ大好きな池のはなし

実はわたくしまゆがとっても好きなお話を紹介します。

リフトに乗ると数分で山頂に着き、お鉢巡りと言って一周する事ができます。

大室山登った人は実は見ている池

ちょうど真ん中に来ると、田んぼが見える場所があります!

ここは伊東市池と言って、昔は池だったのでそのまま地名になったそうです。

ここは明治2年に池の水を抜き田んぼになりました。

 

池の水、ぜんぶ抜く!…はぁぁぁあああああ?

 

って、

明治に入ってすぐで池の水抜くって結構無茶してない?

 

なんとなく必死さを感じたので、どうしてか調べました。

突然ですが、伊東って田舎によく見かけるアレがあまりないと思いません?

 

そう!田んぼなんです。

この時代は車なんてほとんどなく、物の輸送が今ほどではありません。

また、江戸時代はお金よりもお米が大事な時代でした。

つまり池の人たち、お米を作りたかったんですね。

田んぼを手に入れた池の人たちはその後裕福になったそうです。

 

忠俊さんの素敵過ぎるところ

で、

 

その池の人たちに

「外国から隧道(トンネル)という技術があってそこから水を流せば田んぼが作れるかも」

「山梨に隧道の技術を持っている人たちがいるから手配するよ」

と言ったのが、実は忠俊さんだったのです。

(今も隧道はあって見ることができます!3代目です)

さらに隧道は水が溢れるなどの何度も補修をする必要があり、

忠俊さんは自分のポケットマネーを出してまでしたそうです。

 

脇役の美学を感じる忠俊さん

(忠俊さんもきっと同じ景色を見た伊豆の国市・江川邸)

みなさんにもなんとなく忠俊さんが優秀なのは感じられるかと思います。

最終的には足柄県知事になるのですが、それまで表舞台には出なかった忠俊さん。

表舞台に出るタイミングは何度もあったのに、自分は江川家の家来だから…と脇役に徹していたのではないかと思います。

脇役…目立たない存在のように見えてしまいますが、脇役とはこうあるべきと美学を忠俊さんから感じ真下。

まさに、英龍イズムを受け継いだ名バイプレイヤーだなと思いました。

 

明治11(1878)年、54歳で生涯を終えます。


次のおすすめ記事

◇その忠俊さんのご主人・江川家は今も残っています。

江川邸という観光名所になっていて見学することもできます。

その江川邸とは?

mayu-egawatei.hatenablog.com

 

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