まゆと伊豆

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木下杢太郎って誰?

木下杢太郎(きのした もくたろう)1885年(明治18)に賀茂郡湯川村、今の伊東市湯川出身の人です。

が、本当にこんな人いたの!?と疑いたくなるようなスゴい人が伊東出身だったので、ぜひみなさんも知って頂けるとうれしいです。

木下杢太郎のスゴいところ3つ

木下杢太郎の本名は太田正雄です。

実はこの人、本業は医者。だけど、画家も作家もしていました。

二足のワラジならぬ、三足のワラジ。

しかも、全部超一流だからびっくりします。

本当にそうなの?と思った方、ぜひこの先を読んで下さい!

 

画家か作家になりたい!〜作家として

右端が杢太郎さんです https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/3/2358.html

杢太郎さんは13歳のときに東京へ。

この時代は優秀な人は東京へ行き、より高度な教育を受けていました。

杢太郎さんも小さい時からとても優秀だったそうです。

18歳のときに絵の勉強をはじめます。

当初は画家か作家になりたかったようです。

 

あの作家ともこの作家とも交流していた!

与謝野晶子 https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/347/ 

杢太郎さんは東京帝国大学(今の東京大学)の学生時代の22歳のときに、与謝野晶子夫妻が主宰する会に参加し、そこで文学作品を多く発表します。

そこで北原白秋吉井勇などと出会います。

北原白秋 https://www.yanagawa-net.com/sightseeing/hakusyu.html

誰が書いたかはシークレット「5足の靴」

http://gauss.ninja-web.net/gosokunokutsu0.htm

 

杢太郎さんが22歳のときに、与謝野寛(与謝野晶子の夫)、平野萬里、北原白秋吉井勇と5人で九州を1ヶ月ほど旅行します。

その旅行の様子を描いたのが5人だったので「5足の靴」というタイトルを付けますが、章ごとに書いた人が変わっています。そして、誰が書いたかはなんとシークレット。

今でも誰がどの部分を書いたのかは分かっていないそうです。

遊び心がすごい5足の靴、個人的にはとても気に入っています。

 

パンの会を作る。パン?

パンの会のようす 杢太郎さんの話をもとに描いたもの http://gauss.ninja-web.net/gosokunokutsu0.htm

この後に会を脱し、杢太郎さんはパンの会を作ります。

パン?というと食べ物のパンを私は想像してしまったのですが、ギリシア神話に登場する半獣神パンから取ったようです。

杢太郎さんは芸術家が集まる場所が必要なのではないか?と思い、隅田川をパリのセーヌ川に見立て、作家、画家、音楽家、演劇関係の人などが集まって西洋のお酒を飲んでいました。

当時は耽美派というこれは「芸術は美しくなきゃダメっ!」(超ざっくり)芸術スタイルが流行っていました。

更に時代は明治。

江戸時代のモノがどんどんなくなっていっていくことを惜しんだりしたそうです。

なんだか私にはとても面白い、興味深い会話をしていたのではないか?と思いました。会話を聞けるものなら、聞いてみたかったです!

このパンの会は、明治の終わりと共になくなってしまったそうです。

 

 

医学会の大発見をゾクゾク〜医者として

https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/3/2356.html

本当は画家か作家になりたかった杢太郎さん。

しかし、家の人たちは医者にしたかったようです。

杢太郎さんは反抗したそうですが、森鴎外のすすめにより、皮膚科の研究をはじめます。

実は医学生をしつつ、芸術活動もしていました。

医学の道を歩みつつも、芸術活動を捨てきれなかった事がよく読み取れます。

こういった過程があったので、本業はお医者さんなんです。

さてその本業としての功績ですが、これがまたすごい!

みなさんが、なんとなく聞いたことがある病気がこれから出てきます。

この大発見をしたのが、杢太郎さんです!

水虫の原因を日本で初めて特定した!

https://www.photo-ac.com/main/search?q=%E7%99%BD%E7%99%AC%E8%8F%8C&pp=70&srt=-releasedate

31歳の頃から菌の研究をはじめ、水虫の原因が白癬菌(はくせんきん)という事を発見します。

ざっっっっっっっくり言うと(すいません。超文系なんです)

真菌(しんきん)と呼ばれるカビの仲間は、病気の原因となるものとならないものがあって、病気の原因となるカビの仲間の研究をしているときに白癬菌をの正体をつかんだようです。

ちなみにゼニタムシもこの白癬菌が原因です。

水虫やゼニタムシになった事のある方、杢太郎さんと伊東を思い出しましょう。

 

ハンセン病の常識をくつがえす!

https://news.livedoor.com/article/detail/16745570/

杢太郎さんの時代は、ハンセン病になったら強制隔離されてしまい、治らないと言われていた時代でした。

しかし、杢太郎さんは隔離する以外の方法もあるのではないか?本当は治る病気と思っていたようです。

研究をずっとしていたようですが亡くなってしまい、杢太郎さんが亡くなった後に治療薬などハンセン病の解明が進みました。

時代が早過ぎたのかもしれませんが、強制隔離をされ差別され続けた患者さんたちがたくさんいたそうで、その人たちを救いたかったのかな?とも思いました。

 

ついに名前が病名になった!

 

 https://www.nms.ac.jp/kosugi-h/section/plastic-surgery/guide_aza.html#:~:text=%E5%A4%AA%E7%94%B0%E6%AF%8D%E6%96%91%EF%BC%88%E3%81%8A%E3%81%8A%E3%81%9F%E3%81%BC,%E3%81%8C%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82 より

太田母斑(ぼはん)と名前が病名になりました。

これは、杢太郎さんが53歳のときに世界に発表した青あざの一つで、生後すぐに出る、または思春期のときに自然と現れる青あざのことです。

今はレーザーで治ることもあるそうです。

 

 

自分の為に描いた作品?最後の作品「百花譜」〜画家として

杢太郎さんはこんな医療の研究の合間に精力的な小説、戯曲を発表します。

どこにそんなパワーがあるのか、驚いてしまいます。

そんな中、1941年(昭和16)に太平洋戦争がはじまります。

f:id:mayu_egawatei:20230615161014j:image

 

もちろん杢太郎さんの生活にも影響が出ます。

そんな中、杢太郎さんは「百花譜」 という植物画を872点描き続けます。

これは花屋や温室育ちのような特別な植物ではなく、私たちの身近に咲いている道端を歩いていて咲いている名もなき雑草の花を描きます。

戦争中なので紙は不足しています。なので、医学用箋に書かれています。

なので、真っ白な紙に描かれていなかったのはその為でした。

きっとどこかに発表する為ではなく、戦争という時代の中で、少しでも慰めや癒しになればと自分の為に描いていたのではないかと思います。

これは60歳、昭和20年7月に杢太郎さんが胃がんで亡くなるまで描き続けます。

最後の作品がこの「やまゆり」

 

 https://www.nms.ac.jp/kosugi-h/section/plastic-surgery/guide_aza.html#:~:text=%E5%A4%AA%E7%94%B0%E6%AF%8D%E6%96%91%EF%BC%88%E3%81%8A%E3%81%8A%E3%81%9F%E3%81%BC,%E3%81%8C%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82 より

そこには杢太郎さんのこんな文章が綴られています。

胃腸の痙攣疼痛(けいれんとうつう)なほ去らず、家居臥療。

安田、比留間この花を持ちて来り、後これを寫す。運勢たどたどし

 

と今にも消え入りそうな字で描かれています。

杢太郎さんの見た世界

 

杢太郎さんは昭和20年10月に60歳で胃がんで亡くなります。

戦争が終わって2ヶ月後の事でした。

時代が早過ぎた為にハンセン病の解明は杢太郎さんが生きているときにはできませんでした。

本当は作家や画家になりたかった青年。夢破れて医者になった経緯はあるものの、きっと病に苦しむ人たちを救いたいという気持ちで医療の発見を続々したと思います。

百花譜のやまゆりを描いているときの杢太郎さんは本当にどんな気持ち、だったのでしょうか?

杢太郎さんの無念さを感じつつ、今日も伊東の海は気持ち良いです。

まだいた日本のレオナルドダヴィンチ

ところで、伊豆の国市にある江川邸に住んでいた江川太郎左衛門

この人は江戸時代末期に代官。今でいう県知事だったのですが、絵が上手だったり、大砲の研究をしていたり、物理などもよく理解していました。

この人も「こんな人、本当にいたの!?」と疑いたくなるような多彩な人で、江川邸の学芸員の先生曰く「日本のレオナルドダヴィンチ」と名付けていましたが、私はこの人も「日本のレオナルドダヴィンチ」と名付けていいのではないかと思い、この副題を付けました。

 

 

 

杢太郎さんに会いに行こう!

杢太郎さんの家はまだ残っていて、見学する事ができます。

それが木下杢太郎記念館です。

杢太郎さんの事を学べるほか、建物が幕末に建てられた伊東で一番古い邸宅、人の家です!

なので、登録有形文化財にも指定されています。 

 

mayu-egawatei.hatenablog.com

 

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参考文献 

https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/3/2356.html

https://www.daiichisankyo-hc.co.jp/site_hifuken/symptom/zenitamushi/#:~:text=%E3%81%9C%E3%81%AB%E3%81%9F%E3%82%80%E3%81%97%E3%81%A8%E3%81%AF,%E4%BF%9D%E3%81%A4%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E5%A4%A7%E5%88%87%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82

https://www.nms.ac.jp/kosugi-h/section/plastic-surgery/guide_aza.html#:~:text=%E5%A4%AA%E7%94%B0%E6%AF%8D%E6%96%91%EF%BC%88%E3%81%8A%E3%81%8A%E3%81%9F%E3%81%BC,%E3%81%8C%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

https://kotobank.jp/word/%E8%80%BD%E7%BE%8E%E4%B8%BB%E7%BE%A9-95445

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%BC%9A

 

木下杢太郎記念館展示物など

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